仙台高等裁判所 昭和44年(う)402号 判決 1970年5月11日
被告人 桜井清吉
主文
本件控訴を棄却する
理由
本件控訴の趣意は、仙台区検察庁検察官事務取扱検事大塚利彦名義の控訴趣意書、その答弁は弁護人勅使河原安夫および同小野由可理名義の各答弁書に、それぞれ記載のとおりであるから、これを引用する。
控訴趣意(法令適用の誤り)について
所論は自動車運転者が大型乗合自動車を運転して道路が狭隘となつている部分を通過する場合、車の接近に気付かず道路端に立つている者に対し警音器を吹鳴してその注意を喚起し、また道路および通行人の状況に照らし危険がある時は一時停止して危険を避けるべき業務上の注意義務があるところ、被害者側の過失のみを論じ、被告人には警笛吹鳴義務はなく、被告人の挙措は止むを得なかつたものとして被告人の過失を否定し無罪を言い渡した原判決は、刑法二一一条の解釈を誤り、法令の適用に誤りがあつて、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄を免れない旨主張する。
よつて、検討すると、原審で取調べた証拠、特に原審の検証調書、同証人大内敏男に対する尋問調書、同証人板橋進、同三浦のぶ子および被告人の原審での各供述ならびに被告人の各供述調書に、当審における事実取調の結果特に証人大内敏男の尋問調書を総合すると
(1) 被告人は本件大型バスを運転し、本件日時ごろ、本件衝突地点にさしかかつたこと
(2) 当時被告人の進路右側前方には駐停車中の自動車があり、通行幅員が狭かつたため、被告人は本件衝突地点の手前約一五メートルのところで一時停止し、クラクシヨンを二、三回吹鳴するとともに、進路左方の安全を確認した車掌の「オーライ」の合図に従つて発車し、速度をほぼ人間の歩行速度である毎時約五キロメートルにして徐行したこと
(3) 本件衝突地点は、進路左方大内商店前であるが、同店は道路と接する側溝間際までほぼいつぱいに店舗を開いており、被告人車は店と接する側溝端と約六〇センチメートルの間隔をもち、右方駐停車中の自動車とはせいぜい一メートル位の間隔をもつて道路に稍斜めに進行したため被告人にこれ以上右に把手をきつて進行することを望むのは困難と認められること
(4) 被害者板橋進は右商店の店内で、道路に背を向け、同店の大内敏男と立話をしており、その踵は道路側溝の縁石からわずかに内側(約一七センチメートル)にあつたこと、また同店先には被害者以外他に客などがいたようには見受けられないこと
(5) 被告人は右立話中の被害者に気付いたが、そのまま動かないものと考え、前記速度のまま進行を続け、自動車前端が被害者と約八〇センチの間隔で通り越したこと
(6) 被害者板橋は、大内との話を終え、会釈をして道路に対する注意をしないままいきなり左足を後方に引いて道路上に出たため、本件自動車の左前部ウインカーランプにその左肩胛部が当り、転倒して本件傷害をうけたこと
(7) 大内敏男は前記車掌の「オーライ」の合図を聞くとともに、本件自動車が徐行して接近してくるのに気付いていたこと
(8) 被害者が道路に出る際、右大内に会釈したというものの、そのことの故に特に突然不用意に道路に出る気配が、他(特に自動車運転者)からわかるような状態にあつたものとは認められないこと
以上の事実が認められる。
右によると、本件立話中の被害者と被告人車との間隔は約八〇センチメートルに過ぎないのであるけれども、前記諸状況のもとで、前記(3)のように特に左方に寄りすぎたともいい得ず、同(2)のように、停車し、車掌の合図に従い、前方にクラクシヨンで警告を与え、最徐行に近い程の速度で進行したうえ、自動車運転者として、店先で道路に背を向け立つている人間が、特に分別のない幼児とか、或は道路に出るような気配を示している場合は別として、突然不用意に道路に出るというような異常な行動に出ることまで予測し、さらに警音器を吹鳴して注意を与えるとか、一時停止して危険を避けなければならないとかまでの注意義務があるものとは解せられない。かかる異常な被害者の行動は通常予見できないというべきである。従つて被告人に所論のような注意義務はなく、これと同旨の原判決は相当である。なお所論引用の各判例はいずれも本件と事案を異にし適切でない。論旨は理由がない。
よつて、刑事訴訟法三九六条を適用して本件控訴を棄却することとして、主文のとおり判決する。